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【前編】 アートディレクター 河野祥子の仕事論 ─ 「木を見て 森を見失っていた」 新卒の彼女がなぜ指名されるADへと成長したのか

Sep 5, 2026

ドットゼロのアートディレクター(AD)として、コスメやお菓子ブランドからキャラクターIPまで、多岐にわたるブランドのクリエイティブの最前線に立ち続けている河野祥子。多摩美術大学で情報デザインを学び、新卒一期生としてドットゼロに入社。現在は執行役員 兼 アートディレクターとして、会社の顔のひとりとなっています。

新卒で入社した彼女は、なぜこれほど広範なジャンルのクライアントから指名され続けるのか。彼女は何を見つめ、どう判断し、どのような世界観を紡ぎ出しているのか。
その軌跡を、【前編】では原点と葛藤、【後編】では実績と現在地という二部構成で紐解いていきます。


氏名:河野 祥子 (Shoko Kawano)
役職:執行役員 / アートディレクター

多摩美術大学卒業後、2017年にドットゼロへ新卒社員として入社。コスメやスイーツ等の分野を中心に、洗練されたスタイリッシュさと柔らかな感性が共存するデザインを得意とする。現在はブランド全体を俯瞰した視点で数多くの企業、ブランドのクリエイティブを統括。ドットゼロのデザインを体現する存在。




ものづくりで人が喜ぶ瞬間がずっと残っていた


まずは、子どものころからのお話を伺えればと思います。

河野:小学生の頃に、紙芝居をみんなで作って見せるっていう授業があったんです。普通に絵を描いてめくるだけでよかったのですが、なんとなく仕掛け絵本みたいな動きがあったら面白いだろうと思い、襖が開く場面で紐を引っ張ると紙で作った襖がパッと開く仕掛けを作りました。
そうしたら、紙芝居を見せた後にクラス中のみんなが「俺もやりたい!」って私のところに集まってきて、こぞって襖の紐を引きにきたんです。

その瞬間の感覚は、今も覚えていますか?

「ものづくりで人が喜んでくれる」っていう、あの瞬間の感覚は、私の中でずっと残っているんですよね。一時的でも人気者になったみたいで、嬉しかったのを覚えています。


その後はずっと美術系を?

中学では美術部に所属して、高校はバレーボール部でした。仲のいい友達に頼まれて、一緒に入った感じです。でも、それで自分のキャラクターがけっこう変わったんです。運動部に入ってからは周りが明るい子ばかりで、いつのまにか物怖じしなくなっていました。意外と人間、喋れば仲良くなれるんだなって、その時に気づけたのは大きかったかもしれないです。


大学は多摩美術大学の情報デザイン学科ですね。

絵を描くのが好き、ものを作るのが好き、それくらいの理由で美大を志望しました。最初はグラフィックデザイン学科を目指していたんですけど、最終的には情報デザイン学科に入りました。コーディングや動画制作にも触れられる学科で、自分は中学生の頃からホームページを作るのが好きで、独学でコーディングもかじっていたので、その延長で勉強できたらいいなと思っていました。


お客さんがいないと 好きなものを作ってるだけ


卒業後の進路もいろいろ考えられたかと思いますが、どう絞っていったんですか?

美大に入ってから、まずは周りのレベルの高さに衝撃を受けました。「自分は絵が描ける方かも」と思って入ったら、もっとすごい人がいくらでもいたんです。イラストレーターや漫画家の道もあるかもと思った時期もあったんですけど、考えていくうちに気づいたんです。イラストって、誰かクライアントがいなくても、自分一人で好きに描けるんです。でも、デザインって、お客さんと一緒に答えを追及していく仕事だなと思いました。

それで、制作会社を志望されたわけですね。

はい。自分はやっぱり、誰かに「こういうのを作ってほしい」って言ってもらえる仕事がしたい、と思ったんです。直接クライアントとやりとりできる制作会社で、しかも少数精鋭。小さなところから一緒に成長していける場所で働きたかった。それで知ったのがドットゼロでした。最初に惹かれたのは、ロゴが可愛かったこと。会社のサイトを見たら案件もしっかりしていて。当時、社員は4〜5人。少数精鋭でのスタートでした。



木を見すぎていた頃と そこからの判断軸


入社してすぐに、ご自身がイメージしていた仕事と現実のギャップを感じたそうですね。

学生時代は、周囲と比べても多少はデザインができる方だったので、ある程度のプライドを持って入社したんです。「センスも悪くないかも」なんて思っていて。でも、いざクライアントワークに触れると、お客さんが求めているものと自分の好きなものが全然違う。その事実に、最初すごく衝撃を受けました。


その時、転機になった一言があるとか。

先輩から「木を見すぎて、森が見えていないよね」と言われたことです。学生時代は、手の中に収まるような小さな範囲で、自分のやりたいことを時間をかけて突き詰めていました。でも実際の仕事には期間も要件もあります。全体のバランスを決めずに細部ばかりを詰めていたから、時間ばかりがかかって、結果的に良くないものになっていました。


そこから、どう変わっていったんですか?

「細かい装飾は抜きにして、まずは四角い枠だけで全体の構成を組んでみるといいよ」と先輩に教わって、紙面のバランスを大きく決めてから細部を詰めていくようにしました。すると、それまで全然褒めてくれなかった先輩が、「あ、そういう感じ」って初めて反応してくれたんです。
その後、別のポスターを今までの自分なら絶対選ばないような構図や大人っぽいトーンで制作したところ、「めっちゃいいね!」と評価されて。「私が作ったものなのに?」と驚きました。

その成功体験が、今の河野さんの仕事の礎になっているんですね。

そうですね。「これがクライアントワークなんだ」って腑に落ちた瞬間でした。自分の好き嫌いじゃなく、相手のブランドに何が必要か、を考える。これは今でも、私の仕事の出発点になっています。ブランドらしさを表現できなきゃ、そもそもスタートに立てないんですよ。


自分が「最後の砦」になるということ


入社2年目で、アートディレクターに昇格されましたね。

当時は少数の組織だったため、びっくりするくらい急で突然でした。社長と一緒に担当していた案件で、だんだんと「河野にお願いしたい」と言ってくださる場面が増えていって。スッと一歩引いてくれたんです。私が比較的おしゃべりで、クライアントの方と一緒にものづくりをしていくのが好きそうな性格というのを、見ていてくださったのかなと思います。

昇格してみていかがでしたか?

嬉しさの反面、怖かったのは、クライアントと一人で向き合わなきゃいけないということでした。私よりずっと経験豊富で、発注権を持っている方々を相手に、自分が責任を持って話さなきゃいけない。最初の頃は、少しでも会話が途切れたら信頼を失ってしまうんじゃないかと不安で、必死に相手の言葉を受け止めて、一生懸命お話ししていました。

当時、河野さんのようなアートディレクターは、デザイン以外の領域もかなり幅広く担当されていたそうですね。

そうですね。創業してしばらくは、人数も少なかったので、見積もりやスケジュール管理、クライアントとの窓口業務など、本来なら分業するようなことまで、すべて私たちが一気通貫で担っていました。ADが案件の全責任を持って完結させる、そんな感覚でした。
もちろん現在は組織も大きくなり、役割分担も整備されています。ただ、あの頃に培った「自分一人でプロジェクトを動かしている」という当事者意識や、クライアントの事業全体を自分事として捉える姿勢は、今のアートディレクターにもしっかりと受け継がれています。

そうやって自分一人でプロジェクトを動かす中で、アートディレクターとしての責任感や向き合い方はどう変わっていきましたか?

ADになってから一番感じたのは、自分が「最後の砦」になったということでした。それまでは先輩が見てくれていたので、何かあってもフォローしてもらえましたが、ADになると自分のところで止めなければなりません。メールでの言葉選びひとつをとっても、すごく神経を使うようになりました。印刷物も、一度刷ってしまえば後戻りできない世界なので、自分が責任を持つということの重みを強く感じています。
「自分のところで判断する」という経験を積んだことで、デザインに対する向き合い方も変わっていきました。クライアントの目に直接触れるものになる以上、妥協したものは作れないという責任感が、今の私を支えています。


「センス」を言語化し プロの視点を手渡す

現在は後輩デザイナーの指導も担当されているそうですね。

はい。私自身が新卒入社で苦労した経験があるので、当時の感覚を伝えていきたい気持ちはあるのですが… 正直なところ、年月が経つにつれて「できなかった頃」の感覚って、どうしても薄れてしまうんです。「あの時、どうやって乗り越えたんだっけ?」と、自分でも思い出せなくなっている自分に気づくことがあって。


後輩にアドバイスをする上で、難しいと感じることはありますか?

デザインへのフィードバックって、受け取り方によっては「センスの否定」にもつながりかねないと思っています。私自身、そう感じて傷ついた経験があるので、言葉選びは本当に難しいですね。
例えば、最初に参考画像をリサーチして、一枚の紙に纏めてもらうところから始めるのですが、持ってきた内容が期待と少しずれていることもあります。そんな時、「この資料は魅力的ではない」とそのまま伝えてしまうと、相手は自分の価値観そのものを否定されたように感じるかもしれない。どうすれば本質的なリサーチの重要性に気づいてもらえるのか、伝え方には日々試行錯誤しています。


具体的には、どのような伝え方をされているのでしょうか?

できるだけ「具体例」を持ち出すようにしています。「これだと少し大衆的すぎるから、もう少し洗練された方向に振りたいんだけど、この画像との違いはどう見える?」と、言語化しにくい感覚を具体的なトーンの差として比較しながら一緒に考えるんです。抽象的な「センス」の話を、客観的な「デザインの差」に置き換えて会話することを心がけています。

それは、指導を通して自分自身の言語化トレーニングにもなっているということですね。

まさにそうなんです。人に教えるためには、自分がなぜそのデザインを「いい」と判断したのか、その理由を言葉にしなければなりません。しかも、言葉にしても伝わらないことは多々あるので、もっと分かりやすい伝え方を必死で探す必要があります。
そうして試行錯誤を繰り返すうちに、自分自身の言語化能力が磨かれていき、結果としてクライアントへの説明力も向上していきました。「なぜこのコンセプトなのか」「なぜこのトーンを選んだのか」。そうしたデザインの意図を、自分の中で整理し、根拠を持って話せるようになったことは、今の私にとって大きな武器になっています。




「お客様の想いや意図を言語化し、デザインの力で昇華させる」。河野の仕事は、より広く、より深く、クライアントのビジネスの根幹へと深く関わるものへと進化していきました。では、実際に彼女はどのような視点でクライアントと向き合い、数々のプロジェクトを成功に導いてきたのでしょうか。

[後編:「最後の砦」としてブランドを支え 未来の景色を創り出す(2026年10月3日 公開予定)]では、河野が手がけた具体的な実績とともに、そのデザイン哲学がどのように現場で息づいているのかを紐解いていきます。


アートディレクター Shoko Kawanoの経歴と視点

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WRITTEN BY Masaki Takai

ドットゼロ 代表。BEAMSを経て同社を設立。資生堂や星野リゾート、ゴディバ等、数多くのグローバルブランドのブランディングやデザインを請け負うトータルデザインカンパニーを率いる。時代に流されない「人の琴線に触れるクリエイティブ」を追求。本質を突く思考と視座で、企業の良き未来を半歩先からエスコートする。 高井雅己の思考と視座